所用で愛知県の実家へ。
久しぶりに帰ると、
今まで気づいていなかった紫陽花に目が行ったり、
昔から使っていた桶に懐かしさを感じたりします。
何気に散歩をしたくなり、子供の頃よく遊んだ川の堤防に行きました。
40年経って護岸工事はされたけど、原型はほとんど維持。
「この川で遊んでて溺れそうになったんだよな」
刻まれた記憶が甦ります。
この辺りは、田・畑の平地で遮るものが殆どありません。
360度、頭を開放できる感覚がとても好きです。
「誰もいないし、いても聞こえないから、声を出して好きな歌でも歌ってみよう」
と、ituneをイヤホンで聞きながら一人カラオケ。
初めは人もいないのに遠慮気味でしたが、だんだん気が大きくなって、声のボリュームも上がっていく。
「なんだか気分がいい」
大きな声を出そうとするのは、自分の中の閉塞感をフーセンのように膨らませて破裂させようとしているようにも感じる。
「もっと、最大限に膨らまして、自分の心を張り裂いてやりたい」
いつしか、私の声はフルボリュームに挑戦していました。
「自分でもびっくりするぐらいの大声が出るかもしれない」
ところが、私の声はそれほど大きくはありませんでした。
コダマすることも、建物に反射することもなく、意外なくらい短い距離で景色に吸い込まれていく。
どんなにがんばっても、どこにも届くことはない。
「所詮、私の声なんて、そんなもの」
そんなことも分からずに、今日まで生きてきたのかもしれない。
それでも、声を出し切った時、心が震えて、泣けていました。
こんなことをしている自分が恥ずかしいと思いますが、
でも、こんなことをしているのが自分なんだとも思います。
まさか、子供の頃、遊んだ場所で、40年後に同じ人間がこんなことをしているなんて、夢にも思わなかった。
原風景には、忘れた自分も描かれている。
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